兼高かおるさんが亡くなった。
彼女が紹介する世界の街角や人々の暮らしは実に生き生きとしていた。
海外旅行など夢のまた夢だった時代、彼女の番組はキラキラと眩しかった。
だがなにより印象に残っていることは、彼女の類まれな美貌もさることながら、
美しい日本語である。
文字にすれば気づかないかもしれないが、
彼女から発せられる日本語は実に美しかった。
美しいといえば小野ヨーコさんの話しことばも美しい。
これはマネができるものではない。
育ち、と言うヤツか。
「育ち」ならばしかたがないが、
他の言語を使って生活していると日本語が汚れないのではないかと
私は思っている。
日々生まれる若者言葉や奇妙な外来語などで
日本語は刻々と汚染され続けている。
古きよき日本語を小野ヨーコさんや兼高かおるさんは使っていらっしゃったのだと思う。
どうしたものだろうか、これからの日本語。
読書しかない・・・そんなことを思ってみる。
良書を丁寧に読んでみること。
映画もいい・・・そうも思ってみる。
少し古い日本の映画を丁寧に観てみようか。
去年のパリの写真をみながら日本の未来をちょっと憂いている。